琵琶湖の物理学的研究の歴史
「京大地物教室が貢献した海洋物理学研究の流れ」より抜粋
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 琵琶湖の地球物理学調査は、1925 年の神戸海洋気象台による総合観測のあと、戦争等による研究の空白が続くが、1960 年代になって岡本巌と森川光郎は漂流ビンや漂流板を使用した湖流観測を開始するとともに、水温変動のメカニズムに関する調査を精力的に実施した。この中で、琵琶湖の環流が地衡流の性格を有することが見出され、1960 年代後半に國司秀明、岡本巌、佐藤英夫らはBT による水温観測を導入し、力学計算による湖流推定を可能とした。

 その後、1970 年代に遠藤修一らによる診断モデルの適用により流速場の推定精度が向上した。また、今脇資郎と遠藤修一は水温観測データから環流と内部波の分離を試みた。湖流の直接測定としては、1970 年代の山本敦之や奥村康昭による電波漂流ブイや自記流速計の開発、奥田節夫・横山康二による連続測流、1980 年代の遠藤修一と岡本巌によるレーダを利用したブイ追跡、および1980 年以降の遠藤修一と奥村康昭による流速計群の展開、熊谷道夫と焦春萌によるADCP 曳航観測などが挙げられる。

 流れの時間変動に関しては、1970 年代に今里哲久が静振を、金成誠一が内部波を主な対象としてそれぞれ観測と数値実験を行い、風による湖流形成のメカニズムを調べた。また、大西行雄は風や密度差が引き起こす湖水の運動に関する数値実験を行った。1980 年代には熊谷道夫と大久保賢治が回転水槽を使用して環流の形成に関する水理模型実験を行った。2000 年代になって、秋友和典は琵琶湖の湖流と水質変動に関する詳細な数値計算を行い、琵琶湖の環流の形成・維持に湖上の風の渦度が重要であることを示した。

 1970 年代より奥田節夫と横山康二は、人工衛星や航空機を使用したリモートセンシング技術を応用し、河川水や湖水の分散について観測を行った。河口沖における観測としては、1970 年代の山本敦之や奥村康昭による姉川調査、西勝也と藤田政伸らによる天野川調査、1980 年代の岡本巌と遠藤修一らによる芹川調査などが挙げられる。また、1980 年代に吉岡龍馬らは、流入河川の水質の地域特性と季節変化を調べた。

 赤野井湾と南湖との湖水交流に関して、奥田節夫、國司秀明、岡本巌、樋口明生、畠山祐二らによる共同観測が1971〜72 年に実施された。2000 年前後に戸田孝と板倉安正は赤外線リモートセンシングにより赤野井湾の湖水流動について観測を実施した。塩津湾では岡本巌による長年にわたる観測が行われたほか、2000 年代に熊谷道夫と焦春萌によって流動場調査がなされた。また、余呉湖においては今里哲久、國司秀明、鳥羽良明らによる水収支と熱収支の観測が1970 年代に行われた。

 琵琶湖および滋賀県の気象特性に関して、1980 年代より中島暢太郎と枝川尚資は湖上の風系の分類を行うとともに湖陸風に関する調査を行った。1990 年より約10 年間にわたり、遠藤修一は調査艇によって湖上の風の分布を繰り返し観測している。湖周辺では、大西行雄、戸田孝、遠藤修一らがメンバーとなってビワコダスという風の観測が1997 年より継続されている。

 堀江正治と國司秀明は琵琶湖古環境実験施設を1977 年に創設し、湖底ボーリングによる堆積環境の調査を行った。1980 年代より山本淳之、金成誠一、福尾義昭、柏谷健二らは湖底堆積物の分析を行うとともに古気候について解析を行った。1970 年代より奥田節夫と横山康二は懸濁物質や湖底堆積物の調査方法について新しい手法を考案し、神山孝吉は湖底堆積物からの窒素溶出についての研究を行った。2001 年より熊谷らは自律型潜水ロボット「淡探」による湖中探査を行った。

 琵琶湖の水文水質や生態系に関する総合研究としては、1960 年代のBST(琵琶湖生物資源調査)、IBP(国際生物学事業計画)、IHD(国際水文学十年計画)、および1993 年のBITEX(琵琶湖国際共同観測)などが挙げられる。

 なお、海洋物理学講座では1970 年以来長きにわたって、3 回生配当の授業「課題演習」に琵琶湖の調査が取り込まれ、多くの学生が琵琶湖の現実に触れてきたことも特筆すべきであろう。

 以上、京大海洋物理学講座およびその出身者による琵琶湖研究は長い歴史と大きな成果を有している。琵琶湖の汚染が叫ばれて久しいが、安易なマスコミ報道に惑わされることなく、今後もより高い精度の観測と緻密な理論により、琵琶湖の謎が解明されることを切に望む。(遠藤修一)




©2013 SEndo Kouta

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