外国でのビックリ体験−その11−


2007年の渡航
 2007年は,私が本学に赴任して丸30年目となる記念すべき年である。着任した頃の私は20歳代後半の独身で,やや長めの黒!髪,甘い?マスク,スリムなボディの持ち主であったため,それはそれはもう大変なモテ方であった(笑)。その上,着任早々に「清流沈没未遂事件」を引き起こしたりしたので,学内はもとより学会関係者の間でもけっこうな有名人となった。「光陰矢のごとし」というが,私に限っていえば30年は決して短くはなかったように思う。

 そんな節目の年に,学部改革のためとはいえ地学研究室がその終焉を迎えることは,やはり何か不思議な因縁を感じるとともに寂しさを禁じ得ない。『自然像』も第47号で廃刊ということになろうが,私個人としてはあと数年の在職期間中は,相変わらずの戯文を綴ってゆきたいと思う。さて,前置きはこのくらいにして,今回はその記念すべき2007年の外国紀行について記してみる。

 私たちが「湖沼学実習」などを通して長年取り組んできた「びわ湖から学ぶ環境マインド―調査艇を利用した湖上体験学習」が文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に選定された。このプロジェクトは2006年から3年間継続され,1年間に50日ほどのびわ湖出動をこなす忙しさである。その合間をぬって,3月カンボジア,5月マカオ,8月アメリカ・フランス・エジプト,9月中国,10月タイ・カンボジア,12月中国と狂ったように外地に飛んだ。

 3月のカンボジア・トンレサップ湖での調査では,チャーターした船が航行禁止水域に入ってしまい,監視官の船に追跡され,ついには拿捕されてしまった。チャーター船の船長はもとより,客人であるはずの私と奥村氏までも水上警察の詰め所に軟禁?された。こちらは調査の途中であったので早く解放してもらいたかったが,言葉も通じず,いったいいまがどのような状況なのかも皆目見当がつかないまま約1時間がむなしく過ぎ去った。日本から持参した携帯電話でシェムリアップにいる調査チームに連絡を入れようとしたが,びわ湖の10倍はあるという大湖の真ん中では案の定「圏外」であった。イライラを通り越して,あきらめの境地に達した2時間後に,ようやく船長は解放され,なんとか調査を再開することができた。過去十数回のトンレサップ湖調査ではじめて経験した貴重ではあるが,なんとも腹の虫が治まらない出来事であった。



 5月のマカオ行きは全くのプライベートである。インターネットで格安切符を捜し,あまり考えずに予約したところ,台湾経由の往復便でしかもビジネスクラスであった。あまつさえ,帰路には台北1泊というオマケまで付いていた。小型機であったので,ビジネスクラスの座席は機の最前部8席のみである。しかもエコノミークラスの乗客がすべて前扉から搭乗するので,早めにビジネス席に座ってジュースでも飲んでいようものなら,「何や,この日本人は。偉そうにビジネスかよ。」という視線をいっぱいに浴びることになる。マカオは近年になって急速に発展し,巨大なカジノビルの建設ラッシュである。まもなくラスベガスを上回る規模になるとか。ただし,ギャンブルをやっているのは相変わらず中国人ばかりである。私には訳のわからない「バカラ」というゲームのテーブルには特に中国人が多く,彼らはカードを折り曲げ,へし曲げ大声でわめき続けている。私の勝負の戦果についてはご想像にお任せすることにするが,3個のサイコロを振る「大小(ターサイ)」では,神懸かり的なヒラメキによって,3つの目すべてを的中するなど一時は大儲けしたことだけを記しておきたい。



 さて,特色GPの一環として,8月9日から2週間にわたって,地球を東回りに一周した。同じ系列の航空会社を利用すれば,世界一周が格安で実現する。私たちが利用したのはSky Teamで,ノースウェスト,エアフランス,大韓航空の各機を乗り継いだ。ともに旅をしたのは,川嶋氏,チェンマイ大のソンポーンさん,地学OGの土田さんである。何とも不思議な組み合わせであるが,まあ結果的にそのようなメンバーになったということである。すでに何度も訪れているミシガン州立大学(MSU)ではディートリ先生のアレンジにより,陸水や環境に関する施設や研究者を訪問した。カナダに留学中の中井貴久くんやMSU在学中の浅田彩香さんも駆けつけてくれて,時差ボケも吹き飛ぶほどの充実した4日間であった。続いてパリに飛び,セーヌ川を視察したあとで,ブルターニュ地方を訪れた。世界遺産のモンサンミシェルでは道路建設による水環境破壊を目の当たりにし,サンマロという素敵な町で宿泊後にランス川潮汐発電所を見学した。ここは,海洋エネルギー利用の先駆とも言うべき施設であり,長年の念願が叶ったことを神に感謝した。エジプトでは,灼熱の中をアスワンハイダムに赴いた。ナイル川をせき止めて作られたこの巨大ダムには常に賛否両論がうずまく。それにしても,人間は何とも大それた工事をおこなうものかと,半ばあきれ果てるほどのスケールであった。土田さんの念願であったピラミッドとスフィンクスも訪れた。これまた,想像を絶する世界である。好奇心に勝てずピラミッド内部見学にトライしてみたが,通路の天井の低さと内部の蒸し暑さには閉口した。



 9月と12月には中国を訪れた。23年前に私が生まれて初めて外国の地を踏んだのがこの国であった。9月にはゼミ生の趙さんの案内で重慶から宜昌まで3日間かけて長江を下り,三峡の名勝や三峡ダムを見学した。アスワンハイダムと同様にダム建設にはいろいろな問題点が指摘されているものの,中国の威信をかけた大工事であることに違いない。長江の水は相変わらずの赤褐色を呈し,両岸の丘の上にはダム建設による水位上昇のために立ち退き・移転を余儀なくされた数百万人ともいわれる人達の住むアパート群が林立する。帰国前に,銭塘江の大海嘯を見学する機会に恵まれた。アマゾンのポロロッカと並んで,その規模の大きさで知られる海水の逆流現象を目前で見られたことは実に幸いであった。一方で,12月の北京は大陸特有の強烈な冷気に包まれ,持参した水質計が寒さで作動しないというトラブルもあって意気消沈し,以前から決めていたことではあるが,万里の長城行きのバスからエスケープした。この旅での唯一の救いは桂林の美しさであった。



 10月末からゼミ生の植松さんと金沢さんを連れて,カンボジアとタイに出かけた。今回はトンレサップ湖にも出かけたが,シェムリアプ市内の内戦や地雷に関する施設を訪問した。日本は戦後60年余を経過したが,カンボジアで1997年まで使用されていたという戦車が実際に展示されていたり,いまでも無数に近い数が埋められている地雷の情報を見聞きしたりすると,さすがに背筋が凍るのを覚える。タイでは,昨年卒業したゼミ生で,いまはサコンナコン市のラジャパット大学で日本語教師をしている辻井育子さんを訪ね,久しぶりに歓談することができた。異国での生活はいろいろと大変なようであるが,ウィスキーを飲みながら彼女を激励したことが昨日のように思える。  (さらに續く予定)


2008.1.31記(自然像 Vol.47, 2007)



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