外国でのビックリ体験−その12−


湖めぐりの旅
 理科と数学を併合したような「理数教育コース」の発足により地学研究室という存在が消えてしまった。地学の機関誌である『自然像』も廃刊になり、誌への投稿という形は2007年度でおしまいであるが、せっかく11話まで続けたので、WEB上ではあるがこのシリーズを継続することにする。

 私の専門は「湖沼学」であるので、どうでもいいような「ビックリ」ばかりを並べるのをひとまず中断して、いままで訪問した世界の湖沼について少し真面目に綴ってみたい。このシリーズの第6話で紹介したように、私が初めて訪れた外国の湖は中国の「太湖」である。「日・中共同琵琶湖太湖湖沼科学研究」と銘打った研究チームのメンバーとして調査研究に参加した。太湖の面積はびわ湖の3倍以上であるが、水深は約2mという浅い湖である。「まるでスープ皿のようですね」と誰もがいうが、びわ湖とて長さ60kmに対して水深100mの鉛直断面図はわずか紙一枚の薄さである。それはともかく、なにしろ生まれて初めての海外旅行であったので、太湖の視察や調査ではビックリの連続であった。湖水の濁り、粒子の細かさ、一面のアオコ、調査器具の違い、食事、お茶、ホテル、水道の水、ぬるいビール、淡水イルカ、月餅、逞しい女性、などなど。おそらく、この中国での諸々のビックリ体験がその後の数知れぬ海外紀行で私を支えてくれているのだと今になって真剣に思う。3年間続いた太湖の調査では日本から大量の観測機器を搬入した。そのために飛行機ではなく「鑑真」という船で渡航したこともあった。しかしながら、やはり異国での調査には困難がつきものであり、私自身は大した成果も挙げることなく1987年のシンポジウムを南京で迎えることとなった。



 次に訪れたのは、北米五大湖の一つのヒューロン湖である。湖の南部にあるサギノー湾には広大な湿地帯(wetland)が存在し、その水質・生態・流況・底質などの調査に参加した。滋賀大学とミシガン州立大学(MSU)の共同研究である。ベイシティという町を拠点とし、Quanicasseeという地点の湿地帯をフィールドとした調査を行った。この湿地帯は湖岸から約500m沖合まで水深50cm以下の遠浅で、ヨシのようなブーラッシュという植物が群生している。このヨシ群落の中に調査測線を引き、50mごとに測点を設けた。日本側のメンバーは鈴木紀雄、川嶋宗継、板倉安正の3教授と私の4人で、MSUからはMcNabb、D'Itri、Battersonの3教授であった。経費のこともあり、ゼミの学生を同伴しなかったために、我々自ら湿地帯を徒歩で何往復もして調査を継続した。当時は今のような小型ロガーがなく、水位計測は記録紙で、水温や電気伝導度の連続観測は小型のパソコンで行った。英語に苦労し、いろいろと失敗の多い観測であったが、湿地帯での静振に伴う水位変動や、水草による水質形成のメカニズムを捉えることができた。嵐と雷の中を水温計の電池交換のために死にものぐるいで湿地帯を歩いたこと、夜遅くまでホテルの部屋で水の分析をしたこと、湿地帯に産卵にやってきた巨大な鯉を抱き上げたこと、板倉先生の助手としてセスナに搭乗し撮影の合間に機の操縦をさせてもらったこと、ビールのうまかったこと、などなどビックリも数多い。今は亡き鈴木教授とMcNabb氏の優しさと逞しさを思い出さずにはおられない。
 

 その後は、このシリーズで紹介したように、バイカル湖(ロシア)、フブスグル湖(モンゴル)、トンレサップ湖(カンボジア)などの調査に参加した。また、大した調査は行っていないが、アメリカでは五大湖のすべてと、タホ湖、ピラミッド湖、クレータ湖など、ヨーロッパではレマン湖、ボーデン湖、ヴェーネルン湖、ヴェッテル湖、メラーレン湖など、そしてアジアではインドのチリカ湖、タイのソンクラ湖などを訪れることができた。また、長江、メコン川、ナイル川、ライン川、セーヌ川、ピン川、ヤムナ川などの水質をチェックする機会にも恵まれた。

 私事ながら、今年の11月に還暦を迎えることになるが、今後も体力の続く限り世界の湖沼を見てみたいし、少しヘタってきたな、と思い始めたら再び車の運転をはじめて、わが国の湖沼巡りでもしたいと考えている。

 
2009.6.23記(幻の自然像 Vol.48, 2008)



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