外国でのビックリ体験−その13−


旅先でのトラブルや失敗について
  外国を旅すると、我が国では味わえない体験や驚きにしばしば遭遇する。それは、いわゆる異文化や大自然に対する驚きであったり、あるいは人との出会いやコミュニケーションであったりするが、他方ではまったく予期しないトラブルや失敗が必ずつきまとうものである。幸いにして、いままで命にかかわるような事件や大きな病気・傷害などに会わずに今日を迎えられたことについては、ただただ神に感謝するほかはない。とはいえ、心底「ひやっ」とするような出来事には何度か出くわした。

 いま思い出して一番怖かったことは、ミシガンに滞在している時に、雪の降りしきる高速道路をフロントガラスが凍りついたままで運転したことである。このシリーズの@に書いたように、冬のミシガンは猛烈な寒さで、車のフロントガラスが凍ることは珍しくない。しかも、へたにウインドウォッシャー液を使うと、それ自身も凍りついてかえって面倒なことになる。暖房を最大にしてフロントガラスを温めても、なかなか氷は溶けてくれず、かろうじてフロントガラスの下側1/5が透明になる程度である。ランシングから高速道路に入る前は、まだフロントガラスへの着氷は少なく、問題なく運転していたのであるが、しばらく走っているうちに雪が降り始め、それが氷となってフロントガラスを覆い、前がほとんど見えない状況になった。路肩に緊急停車するのもかえって危険だと判断して、そのままわずかな空白のあるガラス越しに見え隠れするセンターラインと路側帯を頼りに運転を続け、デトロイト空港に無事到着した。1時間半ほどの距離であったが、いまから思うとなんという無茶なことをしたのかと背筋が凍る思いがする。ひょっとしたら、私の一生はアナーバー(Ann Arbor)市あたりで終わっていたかもしれない。

 左ハンドル車の運転では、わかっていても時にうっかりすることがある。ランシング市内の大きな交差点で左折して左車線に飛び込んだ時には、幸いなことに対向車がなかったために命拾いをした。スウェーデンでも同じ過ちをして、このときには2分間ほどそのまま左車線を走った経験がある。何か考えごとをしている時に、このような逆走現象が起こることを身をもって体験した。

 海外で病気になると大変であることは言うまでもないが、これまた幸いなことに病気とはほとんど縁のない外国紀行を続けている。とはいうものの、ミシガンに滞在中には家族が2回ほど病院のお世話になった。とにかく医学用語がわからないので、知人の通訳に助けてもらった。娘が入院した時には、私も一晩付き添ったが、とにかくシステムや英語がまるっきり理解できないので、なんとも不安な一夜を過ごした。さらに驚いたことは、医療費がとんでもなく高額であったことである。すなわち、3日間の入院と治療に要した金額が40万円というのだから、まさにビックリである。保険に加入していたのであるが、「予期できた疾病」という判断をされ、結局は保険の適用外となった。

 「水が合わない」などと、外国でおなかを壊す人が多いが、そんな経験は私も豊富である。カンボジアの露店で「ミルクシェーキ」を飲んだことがある。冷たくて甘く、炎天下での疲労を癒してくれたのであったが、その夜から下痢と吐き気に苦しむことになった。日本から持参した薬はもとより、現地で調達した抗生物質も効果がなく、調査にも出れずに3日ほどホテルに監禁となってしまった。帰国して、医者に行ったら、「氷の中に細菌がいたのでしょう」とあっさり言われ、1時間の点滴ですっかり良くなった。ロシア・モンゴル・中国などには60度を超すような強い蒸留酒があって、誘いに乗って飲むと必ず急性胃炎というありがたくない症状をひきおこす。タイを初めて訪れた夜に食べた「ラーメン」に入っていたチリで1時間ほどシャックリが止まらなかったことがある。どう見ても緑色のネギにしか映らなかった、この恐ろしい野菜にはその後も何度か苦しめられることになる。私の知人で、中国の露店に並べられていた桃をそのままかじって腹痛を起こし入院した者がいる。原因は桃の皮に付着した農薬であった。

 飛行機を乗り継ぎ、最後についた空港で旅行かばんが出てこなかったことがある。よく聞く話ではあるが、自分の身に起こると結構パニックに陥るものである。結局、その夜は着替えも洗面道具もないままホテルに一泊し、翌日は前日の長旅で薄汚れた同じ服装で出かけることになる。周りから、私の服を「くんくん」と嗅いでは鼻をつまむというパフォーマンスを浴びせられる。なお、出てこなかった荷物は翌日にホテルまで届けられた。

 旅先での移動にはタクシーを使うことが多い。日本よりもはるかに安いのが主な理由である。バンコクの空港から王宮に行く予定でタクシーに乗ったところ、運転手は英語を全く理解しないことがわかった。よほど降りようかと思ったのであるが、タクシーはすでに動き始めている。途中で停車して、運転手に地図を見せたところ、あいにく日本語と英語表示の地図であったので、お手上げである。そのうち、運転手は怪しげな写真を取り出して「きれいなおねーさん」のいる場所に行かないかと言い始めた。真昼である。そのうち、「ワットポー」というお寺が王宮の近くにあることを思い出して、「ワットポー」を連呼したところ、ようやく行き先を認識してくれた。やれやれであったが、両手には冷や汗が滲んでいた。

 シカゴで夜にタクシーに乗った時に、それほど遠くない場所なのに、なかなか到着しないので、不思議に思って窓の外を見ていたら、同じ風景が3度過ぎ去っていった。タクシー代を水増しするための常套手段であるが、こんなものに引っかかった自分が情けなかった。 中国の銭唐江の大海瀟を見学して、上海に帰る途中で遅い昼食をとった。暑い日であったので、ビールを浴びるほど飲んでタクシーに乗ったのが間違いであった。30分ほどすると案の定トイレが恋しくなる。ところがいま走っている高速道路にはパーキングエリアのごときものは皆無で、路肩にも停車できないのだと運転手は言う。「もう限界」だと何度も言ったものの、返事は「いまは無理です。」の繰り返しである。その後のことは思い出したくもないが、2時間ほど辛抱してやっとトイレに駆け込むことができた。

 とにかく外国ではいろいろなトラブルやハプニングに出会う。後で笑って話せるようなことから、思い出すのも嫌なことまで実にさまざまである。でも、それがある意味では次の外国への旅の誘惑にもなっている。外国が身近になり、ガイドブックが氾濫する時代に、誰もが同じような経験をするのでは、あまりにつまらないと思う。最近ではほとんど見かけなくなったが、かつては飛行機が空港に無事着陸すると乗客がいっせいに拍手をしたものである。私はいまでもひとり機長に拍手を贈っている。

2010.10.1記(幻の自然像 Vol.49, 2009)



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