外国でのビックリ体験−その4−


◆アンコール遺跡(カンボジア、2000年)
 乾季と雨季で、その面積を5倍以上も変化させる不思議な湖である「トンレサップ湖」の予備調査を終えて、待望のアンコール遺跡巡りが始まった。かつては密林に埋もれていたというアンコールワットの写真は何度も見たことがあって、一度は訪れてみたいと思っていたからである。

 アンコールワットへはシェムリアップという観光都市から、車で10分ほどで到着する。途中に検問所(入場券売り場)があって、20米ドルを支払う。この国には、リエルという通貨があるが、どこでも米ドルが通用する。ちなみに1米ドルは約4000リエルであった。タクシーの運転手に聞いたところ、彼の月給は約50米ドルであるという。したがって、入場料の20米ドルがいかに高額であるか理解していただけると思う。ただし、これは外国人観光客用の入場料であって、地元の人は無料である。

 アンコールワットは、日本のお城のような堀(環豪)に囲まれた寺院であった。長い間ジャングルに埋もれていたために、至る所で荒廃が進んでいる。まさに廃墟であったこの寺院は、日本の援助で現在、確実な修復が進められている。たとえば、アンコールワットの玄関口である石橋を歩くと、橋の右側は修復されて整然とした石積みが続くが、左側は今にも崩れ落ちそうな巨岩が点在している。

 橋を渡り終えると、あの有名な伽藍の偉容が目に飛び込んでくる。1月に初めてこの地を訪れたときの感激は、今でもはっきりと覚えている。小さい頃から絵本やテレビでしか見たことがなく、おそらく一生涯訪れることがないだろうと思っていた遠い異国の自然や文化財に現実に接することができるとは、まるで夢のようである。思えば、6年ほど前にナイアガラ瀑布やヨセミテの巨木を見たときにも、同様の感激を味わうことができた。中学生の時に初めて富士山を仰ぎ見たときも同じであった。

 アンコールワットの壁面には、実にさまざまな彫刻が施されていて、回廊を巡りながら、かつてのアンコール王朝の盛衰を物語として読みとることができる。私のお気に入りは、壁面に彫られた天女(アプサラ)の妖艶な姿である。無数とも思えるほどのアプサラであるが、その表情はすべて異なっていて、また壁面ごとに微妙な違いを見せる。夢中でシャッターを切っているうちに、あっという間にフィルムはなくなってしまった。

 寺院の頂上にたどり着くためには、ものすごい急な階段を登らなければならない。しかも階段のステップの奥行きは20cmほどしかなく、あまつさえ階段の石は、あちこちで欠けているのであった。したがって、多くの人がこの階段を見上げてため息をつくのであるが、驚いたことに同行した江川氏と片倉氏は、いとも容易に「スイスイ」と登ってしまった。取り残された私と箕田氏は置いてきぼりを食らった形になったが、よく見ると階段の左端に手摺りのついたコンクリート製の階段が設けられていた。ただし、登る人と降りる人が階段を共用するので、降りる人がとぎれるのを待って、おそるおそる登りはじめ、冷や汗をたっぷりかいて、何とか登りきることができた。そこからの展望は、さすがに美しく、久しぶりに充実した一服を楽しむことができた。

 さて、今度は階段を降りる番であるが、上から見た階段はまるで絶壁のようであり、しばし躊躇というよりも、半分泣きそうであった。意を決して、手摺りを頼りに後ろ向きに降り始めたものの、「高所恐怖症」の私としては、途中で脚が震え、次の一歩を踏み出せない。これが本当に自分の脚かと疑うやら情けないやら、息を弾ませながら、本当に不細工な足取りで地上に生還した。どっと噴き出した汗を拭き、息が整うのを待ってタバコを吸いながら、さきほど降りてきた階段を見上げていると、ヨーロッパからの観光客の中にも、私と同類が多くいた。今にも死にそうな顔をして、後ろ向きに階段を降りてくる人たちを数多く見て、なにやら不思議な安心感と近親感を覚えた。なお、8月と9月に再び、三度この地を訪れたが、二度とこの階段にはトライしなかった。「なぜ登らないんですか」という同行の諸氏の質問に対して、箕田氏と私は、「富士山に登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という我が国のことわざを連発するのみであった。

 このあと、アンコールワットの北に位置するアンコールトム遺跡を訪ねた。この遺跡は巨大な面積を誇り、ゆっくり見学すれば一日を有するというので、私たちは中央にそびえるバイヨン寺院を重点的に見学することになった。ここには有名な観音菩薩の巨大な四面像が刻まれた塔が林立している。優しい目、少し開いた鼻、分厚い唇で特徴づけられる菩薩像は、現在のカンボジア少女の面影に引き継がれている。カンボジア航空の機内誌に、菩薩像と少女を並べた写真が載っていたので、片倉氏と二人でわざわざ本社までポスターをもらいに出かけたほどである。

 この後、人による修復を全く行っていないタ・プロームという遺跡を訪れた。この寺院では、巨大な木々が寺院の塀に根を張り、その根が石垣の隙間に入り込んで寺院を破壊しているさまを見ることができる。まさに、木が寺を食い尽くしているという実感が湧く。さらに、さらにタフな江川氏は私たちを9世紀の遺跡やら、像のテラス、西バライに案内してくれ、最後にはプノン・バケンという山への登山まで誘ってくれた。さすがにヘトヘトであったが、バケンから遠望したアンコールワットや、西バライに沈む夕日を見ながら、いま確かにアンコールにいることを強く感じたひとときであった。

 カンボジアといえば、皆が「地雷は大丈夫?」と聞くが、主な道路や観光地では全く心配はない。面白かったのは、私たちが歩いた道を掘り起こして、新しい地雷を埋めるという話である。実は、翌日に当時の小渕首相がカンボジアを訪問するので、地雷爆破のパフォーマンスのためであるという。実際、私たちはプノンペンのホテルで、やや緊張気味の小渕首相が地雷爆破装置のスイッチを入れる報道をテレビで見て苦笑したものである。(さらに続く)   2001.2.5 記


(自然像 Vol.40, 2000)



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