外国でのビックリ体験−その7−


インド紀行
 つい先日,ニューデリー訪問を無事終えて帰国した。これが3回目のインド旅行であり,いずれもラムサールセンタージャパン(RCJ)による環境教育支援事業の一環としての訪印である。

 インドを初めて訪れたのは1999年12月であった。タイのバンコクで飛行機を乗り継いで,首都デリーに到着したのは深夜である。日本との時差が3時間半あるので,結局丸一日を移動に費やしたことになる。それにしても,半時間単位の時差を採用しているこの国のこだわりには感心するとともに,やや呆れもした。ジャンパトというホテルに入ってまずビールを注文した。キングフィッシャー(かわせみ)という銘柄の,軽くて飲みやすく,長旅の疲れを癒してくれるには充分なビールであった。ビールに満足して床についたが,しばらくすると,意外な寒さが伝わってくる。夏には気温が40℃を超えると聞くインドへの先入観から,半袖シャツや夏用のパジャマしか持参しなかったので,インド初日からまずビックリである。余計なお世話とも思える天井吊りの扇風機のスイッチを切り,それから念のためと思ってカバンに入れておいた毛糸のベストを着た。それでもなお寒いので,日本から着てきた背広を羽織って,まるで風邪をひいた時のように体を丸めてしばらく震えていたが,そのうちようやく眠りにつくことができた。

 翌日から環境教育に関する会議が始まった。驚いたことに,12月だというのに会場には冷房がはいっていて,これまた寒くてたまらない。現地の人はと見れば,背広の下にちゃんと厚手のセーターやベストを着込んでいる。会場の寒さを口実にして,しばしば会議を抜け出しては,陽の当たる街頭でタバコを吸うという有様であった。どうやらインドの人たちは,冬のファッションとしてセーターを着こなし,寒い季節を楽しんでいるようであった。2日間の会議の中で,私はOHPを使用して琵琶湖での環境問題や環境教育の紹介を行った。同行したB君がOHPの操作を手伝ってくれた。続くセッションでは座長を任されたが,インド人の英語は早口で独特の発音なので,ほとんど聞き取れない。悩んだあげく,現地の研究者を座長補佐に指名し,始めの挨拶を除いて会議進行はすべて彼にやってもらった。

 当時のデリー市内は猛烈なスモッグに覆われていた。「白いシャツを着ると夕方には灰色になる」といわれるほどで,マスクとのど飴は必需品であった。事実,車の排気ガスが充満する市内を走るときには,タオルで顔を覆う場面がしばしばであった。さらに驚いたことは,デリー市内の交通事情である。道は結構広いのだが,とにかく猛烈なラッシュである。それは単に乗用車が多いというだけではなく,大型トラック,バス,オート三輪,荷車,バイク,人力車(リキシャーとよぶ),自転車,歩行者,それに牛(神様)。これらが先を争って壮烈な車線変更を繰り返す。車間距離は数十センチ,隣の車との距離は数センチという曲芸のような運転技術であり,なによりもひっきりなしにクラクションが鳴り響くので,極度の騒音公害である。およそ日本では考えられない状況なので,車の助手席などに座ろうものなら,まず生きた心地はしない。

 デリーでの2日間の会議を終えて,翌日は早朝からアグラという町にバスで向かった。デリーの南東約200kmに位置するこの町には,あの有名なタージマハルがある。朝食抜きでバスに揺られること約2時間。さすがに空腹が応えてきたが,途中の茶店にてパンと紅茶で一息ついた。デリーでの交通渋滞中に,バスの横に薄汚い老人が寄ってきて,笛を吹きはじめた。窓から覗くと,それはあまりにも有名なコブラの踊りであった。さっそくカメラを向けて何枚かシャッターを切ったのだが,さてこのあとが大変であった。蛇使いの老人は,チップをよこせと立ち上がり,これを無視しようとすると,今度はバスの窓を叩き始めた。ものすごい剣幕である。しかたなく10ルピー(約30円)を渡して事なきをえたが,同行の人から,こんなのはまだましで,インドでは物乞いが多いので気をつけるよう注意を受けた。

 アグラに到着後しばらくしてタージマハルを訪れた。参道を歩いていると多くのこどもたちがそばに寄ってきて,あやうくボールペンをとられそうになった。入場券を買って中に入ろうとしたら,入り口で手荷物検査をされ,タバコとライターは持ち込めないと言われた。近くの手荷物預かり所に向かったが,多くの人でごった返し,わずかタバコとライターを預けるのに20分を要した。2004年の訪問では,タバコのほかに携帯電話と飴も持ち込み禁止であり,おまけにビデオカメラの持ち込みに対して罰金(25ルピー)をとられた。一番頭に来たのは,空港のボディーチェックでライターを2個ともに没収されたことである。通常なら「機長預かり」のはずなのだが,ついにライターは帰ってこなかった。

 さて,なんとか入場できたタージマハルはさすがに美しい建物であり,こんなすばらしい霊廟を建ててもらったムムターズという女性についてもっと知りたくなる。靴を脱いで歩いた大理石の床はひんやりとして気持ちよかった。大平原に沈む夕陽もきれいであったが,翌日は夜明け前からB君と二人でこの地を再訪し,白亜の殿堂に昇る朝日を楽しんだ。(さらに續く)  


2004.1.28記(自然像 Vol.43, 2003)




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