外国でのビックリ体験−その8−


2004年の渡航
 2004年は,海外に出かけることの多い年であった。まず1月初旬にインドのデリーで開催された環境教育ワークショップに参加し,ついでにアグラという町にあるタージマハルを再訪した。インド訪問は3回目なので,特記事項はないように思えたのであるが,やはりビックリはあった。帰りの飛行機にまつわる話である。デリー発バンコク行きの深夜便だったので,空港に着いたのは夜も更けていた。出国手続きのための長い列を見て,まずはウンザリしたが,おとなしく列に並んでいると,その列の右や左や斜めから次々に新しい列が作られてゆき,いっこうに順番が進まないのである。インド人の身勝手さに腹を立てながら,かれこれ2時間ほど並んで,ようやく手荷物検査場にたどり着いたのであるが,あろうことかポケットに入っていたライターを没収された。

 疲れ切って搭乗した飛行機は,時刻通り滑走路に向かったのであるが,いっこうに離陸する気配がない。滑走路に止まって1時間も経ったころに,機内アナウンスがあった。「本日は濃霧のため離陸できません」と。まるで悪魔の声である。時はすでに真夜中であるが,機は空港に引き返し,乗客は降ろされ,バスでホテルに向かうということになった。ところが,空港の外には人があふれて,私たちが乗るバスがどれなのかまずわからない。ようやくバスが特定できた次に待っていたのは,またしても先を争って乗車する人の群れであった。それでも,なんとかバスはホテルに到着し,「ヤレヤレ,これで寝られる」と思ったのが甘かった。ここでも我先とホテルのカウンターに人が押しかけ,私たちがチェックインできたのは相当先のことであった。眠気をこらえながら長い間ロビーで待たされて案内された部屋は,なんとスイートルームで,巨大なベッドや応接間と会議室まである豪華さであった。が,喜びも束の間で,ダブルベッドが一つしかないことがわかって,同僚にこの巨大ベッドを譲り,私はエクストラベッドとかいう折りたたみの貧相な寝床についた。

 次に訪れたのは,おなじみのカンボジアで,5月のことである。新院生となった藤田と中井を同行させた。5月のカンボジアは乾季の終わりで,日差しも強く,とにかく暑い。少し町を歩くと,どっと汗が噴き出す。トンレサップ湖の水位はすっかり低下してしまい,湖心部でも水深は1m程度であった。雨季には船着場であった所が,いまや陸地と化し,船に乗るためには長い時間車に揺られながら悪路を湖の方に向かうことになる。
 湖面は赤褐色に染まり,透明度は1cmという信じられない環境であった。愛用のデジタル一眼レフに300ミリの望遠レンズを装填し,あちこち撮影しているときであった。湖岸にそびえるプノンクロムという山が空中に浮いているではないか。思わず何枚もシャッターを切った。典型的な下位蜃気楼である。この種の蜃気楼は,気温よりも水温が高い場合に出現し,琵琶湖では秋から冬にかけて見ることができる。ところで,ここは熱帯であり,しかも季節は春であるため,このときには蜃気楼が見える理屈が理解できなかった。

 先に述べたように,5月のトンレサップ湖は猛烈に濁っている。そこに強い日射が加わると,水中の高濃度の懸濁物が加熱される。これは,懸濁物質の方が水よりも比熱が小さいためである。そうすれば,水温の方が気温よりも高くなることは充分に考えられる。帰国してから,気象光学の本などを読み返して,光の屈折率と温度との関係や,蜃気楼発生時の光の経路などを計算してみた。その結果を日本気象学会に投稿したところ,幸いにも受理され,気象学会の機関誌『天気』の2005年1月号のカラーページに掲載されることになった。

 湖沼学実習直後の8月にはタイに出かけた。タイにはもう何度も来ているが,自然像のこのシリーズにタイの話はほとんど登場しない。東南アジアでは先進国であるタイにはあまりビックリすることがなかったせいなのかもしれない。今回も例によってチェンマイでのワークショップに参加し,バンコク経由で帰国したと書ける程度である。あえて特筆するとすれば,Mr.Ladies Showくらいか。

 続いて,11月には再びインドへ,12月にはカンボジアに出かけた。インドへは10人ほどが一緒に行ったので,賑やかな旅となった。デリーの大気汚染は,車(特に三輪タクシー)がCNG(液化天然ガス)を使用し始めたことで,ずいぶんと改善されていた。インドの帰りにバングラデッシュに2日ほど滞在し,5年前にインドで知り合ったサノワという男の世話になった。また,地学OGで青年海外協力隊として活躍中の土田理絵さんの元気な姿に接することもできた。

 12月のカンボジアでは,トンレサップ湖南部の調査のために,コンポンチュナンという町に滞在した。小さなホテルで寝泊まりした日々であったが,30人近い大部隊であったので,それほど退屈することもなかった。ただし,帰国直前に風邪と下痢に悩まされたのは,我ながらまったくの不覚であった。

 2004年度は,大学が法人化された年であり,いろいろ大学での仕事も増えたのであるが,まわりのヒンシュクを買いながらも,予定通りの渡航が行えたことはまことに幸いであった。2005年も,すでに海外渡航の予定がいくつか入っているが,はたしてどうなることやら・・。(さらに續く)

2005.1.21記(自然像 Vol.44, 2004)


      トンレサップ湖に出現した下位蜃気楼。プノンクロム(右)と漁船(左)


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