白鳳丸航海記


 昭和50年9月12日14時01分,いま,まさに,我が国の誇る海洋観測船「白鳳丸」(3224トン)は,ここ東京晴海の岸壁を静かに離れようとしていた。それは,「黒潮海域における流れの場及び微細構造の研究」と銘打った46日間にわたる航海のはじまりであった。

 この緊張と感激の一瞬を今か今かと待ちわびていた「豆プロダクション(資本金=奨学金,社員約1名)」の社長を自認する私の手には,いまやどこで入手したのかも忘れてしまった「ナントカシングルエイトスーパーデラックスGX−U」なる8ミリカメラしっかりと握られていた。さあ,いよいよ数えきれぬほどの五色のテープが乱舞し,港のオンナたちの歓声と涙の中で航海の幕が切って落とされる瞬間がくるはずであった。ところが一体これは何としたことであろう!あれよあれよという間に船は岸壁からどんどん遠ざかってゆき,五色のテープどころかトイレットペーパーさえも投げられず,港の女にはほど遠い5〜6人のオッサンと,さして若からぬ3人ばかりの女性がボサーっとつっ立って,いかにもけだるそうに手を振っているだけなのであった。

 私はしばらくアゼンとしてこの光景をデッキで眺めていたが,そうしている間にも船はみるみる遠ざかってゆく。我が「豆プロ」の処女作である「実録:大いなる航海(仮称)」に出航場面が欠けていては話にならぬ。そこで,私はやおら気を取り直して,その名前の割に重量感のないカメラのファインダーの中に,まだしも絵になるだろうと思われる見送りのオバサンたちを捉え,やみくもにズームアップした。ああ,これが「豆プロ」の記念すべき第一歩であるのかと思うと泣けてくるのであった。「こんなことなら京都から女どもを4,5人連れて来るんだった」などと舌打ちしてみても,これはもとより虚勢に過ぎないのであった。ともかく,こうして波乱のうちに航海は始まったのである。

 船は快調に,青地に真っ黄色のイチョウの葉マークのついたとんでもなくゴッツイ煙突から黒煙をあげながら,第1の観測水域である八丈島の南方に向けて伊豆海嶺に沿って南下する。乗組員は,各大学の研究者と船員がほぼ半々の総勢約50名である。なぜか全くの女っ気なしである。かろうじて研究者のグループに入る私にも部屋が与えられ,食堂の真ん前の10号室に東北大の学生と共に寝起きすることとなった。得意のジャンケンで二段ベッドの下をとった。

 船上では,すでに打合せも終わり,観測準備があわただしく始まる。まず,船の動揺から観測器械を守るために,船に固定された机や天井に器械をロープやガムテープで固定する。こういうことなら私たち下っ端にもできるが,ここで早くも私は得意の早合点で恥をかくのである。このロープで固定することを「コバック」という。私は,さすがに海の男は粋なことを言うと感心して,即座にトランプの「コバック」を連想し,同僚の学生やら偉い先生に「コバック」必勝法を説いて回った。ところが,話がトランプとロープを結びつける段になると,きまって皆がへんてこな顔をする。よくよく聞いてみると,ロープの方は何と我が愛すべき日本語の「固縛」であった。

 これと似たような失敗はしょっちゅうやるが,昨年の赤潮観測で,北小松の漁師がカラスの羽でパタパタと魚をびっくりさせて網の中に追い込むという不埒な漁法を誰か(B君がくさい)が「追いはぎ漁」というのだと教えてくれた。なるほど,うまいことを言うとまたもや感心して京都の友人達に得意顔で講釈した後で,実はあれは「追いさで漁」が正解だと聞かされてガックリきたことがある。しかし,あまりにも得たり顔で言いふらしたもので,今さら訂正して回るのもカッコがつかず,そのままにしている。むしろ,その友人の一人がまたどこかで得意満面に第三者に講釈して恥をかくのをひそかに楽しみにしている。

 話がそれてしまった。船は現在,第一の観測水域に到着した。ここでの観測の目玉商品はパラシュート・ドローグである。これは言うなれば漂流板の代わりにパラシュートを用いただけとも言えるが,さすがに仕掛けは大がかりで,海水中のパラシュートは表面の浮きとピアノ線で結ばれ,パラシュートには自記の圧力計が付けられて,測流深度が正確にわかるようになっている。海面にはレーダブイがあってパラシュートの移動速度が測られる。その基になる船の絶対位置の決定には人工衛星が利用される。また,測流と並行して,水温,塩分,溶存酸素,濁度,窒素,重力分布などが測定される。甲板作業は危険が伴うので主にベテランの船員によって行われ,研究者,とりわけ私たち平々(ペーペー)は甲板にいるだけで「チョロチョロするな!」と叱られてしまうので,遠くからポカンと眺めているだけである。まあ,その方が「豆プロ」のカメラマンとしては都合がよいのだけれど・・・。

 そうは言っても,私にも仕事はあるのであって,決して46日間ただボサーっと見学していただけではない。作業は4時間三交代で,これを「ワッチ」と呼ぶことはご存じの方も多いと思う。知らない人は「マンボウ航海記」でも読みなさい。私は,こういう運だけは強く,パーゼロ(8-12h, 20-0h)の「殿様ワッチ」であった。仕事の主なものは,電算室で時々刻々打ち出される水温,塩分,深度のデータ整理,STDやBTの操作,酸素検定,塩検など,要するにあまり危険でない作業は一通りやらされるわけである。それでも風波の高い時などに数メートルも上下する後甲板でBTをやるのは度胸がいるもので,今思い出しても身震いがする。

 「ワッチ」の時は,結局4時間働いて8時間休むという規則正しい生活であるが,休みの間にやることと言えば,寝て食って飲んで麻雀をするくらいのものである。46日間毎日麻雀をしてみなさい。強くなるのは当たり前です。麻雀についてはいろんな思い出があるが,これは私の部屋が食堂の真ん前であったことが大きかったようである。なにしろ,食後に軽く半荘などという連中がどっと押しかけて,いつの間にか私の勉強部屋(現に私は修士論文を船で書く予定であった)は,あわれ雀荘と化してしまったのである。あまつさえ,部屋の壁には得点集計表なるものまで貼り付けられ,私はそのスコアラーに任命され,毎日セッセと電卓で得点集計に励まざるを得ないはめに陥った。それでも最終的には見事ベスト3に輝いたのである。

 麻雀といえば,船のローリングの大きい時のドタバタが思い出される。とにかく,山は絶対に二段に積んではならない。必ず二列に並べる。それでも自分の配パイなどは立てざるを得ないから,船の揺れに合わせていつも押さえていなければならぬ。そのうち酔っぱらってきて,どっちが上山か下山かわからなくなってチョンボ続出である。要するに自分の牌をしっかりと押さえていれば,どんどん点棒が増えてくるのである。
 船内での生活は単調であることを除けばなかなか快適で,毎日ではないが風呂にも入れる。船の揺れているときの浴槽では居ながらにして静振が観察できる。ただ一つ私にとって残念だったのはメシが喉を通らなかったことである。船の食事というものは本来最も大きな楽しみであるはずなのだが,私の場合にはこれが重荷でどうしようもなかった。3年以上経った今でも,船の食堂の風景を思い出したりすると吐き気がする。

 いまでこそ「清流」の上で大きな顔をしているが,本来私は船に弱いのである。この航海においても毎日が船酔いとの戦いであった。ましてや,食堂の真前の部屋というのはなおさらで,四六時中食物のにおいに悩まされた。その上,船の食事は1日に4回もあって,前の食事がほとんど消化されていないのに,もう次のメシ時である。この船では食事の時間がくると,厨房員がチャイムを鳴らして船内を歩き回る。あの,小学校などの放送室にある「ピンポンパン」という鉄琴のオモチャみたいなやつである。そのうち,このチャイムが聞こえてくると,すっぱい唾液が上がってくるようになり,条件反射というものを身をもって体験した。私の他にも何人か船に弱い人がいて,我々はこのチャイムを「地獄のピンポンパン」と呼ぶようになった。

 そんな生活の中で,46日間私を支えてくれたのは,やはり酒であり,夜中のワッチが終わった後でワッチ仲間と食うインスタントラーメンであった。陸上にいた時はほとんど食ったことがなく,単に非常食くらいに考えていたインスタントラーメンがこれほどうまいとは思いもよらなかった。油こくてほとんど食べられなかった昼食を冷蔵庫から取り出し,肉も野菜もごっちゃまぜにして麺といっしょに煮込む。それも6,7人分を同時に作る。これに桃屋のメンマなぞを入れると格段にうまかった。

 酒については今さら書くまでもないであろう。ただ,長崎に寄港するまでには自分のストックがなくなって,あちこちと部屋を訪ねては酒を恵んでもらうというハメになってしまったのは計算外であった。

 一方,「豆プロ」の撮影は快調そのもので,いや,快調すぎて,これまた出航後約10日で用意した20本余りのフィルムを使い果たしてしまった。なにしろ,出航で肩すかしを食らわされた私としては,もう暇さえあればカメラをぶらさげて船内をウロウロしていたのであったが,どうもペースが早過ぎるなと気づいた時にはすでに手遅れで,上陸後のフィルム編集の段になって,やたらパラシュートが出てくるのにうんざりした。

 このあと,船は四国沖の黒潮蛇行の観測を行い,26日ぶりに長崎に寄港,上陸。4日間の停泊の後,東シナ海での観測を経て沖縄海洋博へと向うのであるが,長崎でのものすごく気色のいい話や,沖縄美人との大失恋物語を書いてゆくと,それだけで500ページは優に越えるので,残念ながら今回は省略することにする。なお,「豆プロ」の処女作「実録:大いなる航海(仮称)」は近日封切りの予定である。


「自然像」 Vol. 19 (1979)


あとがき
 「実録:大いなる航海(仮称)」は、編集を断念し長らく放置しておりましたが、先日、8ミリフィルムからDVDへの変換を行いました。さすがに画像は鮮明ではないのですが、青春の思い出としてYouTubeにアップしました。よろしければ観てやってください。
 



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