空から見た琵琶湖 


 久しぶりに近畿を直撃した台風16号も北海道沖に去り,まさに台風一過の秋晴れとなった10月1日の朝のことである。前夜の豪雨による玄関前の浸水に悪戦苦闘し,ヘトヘトになって眠りこけていた私は,夢うつつに電話のベルを聞いた。眠りをさまたげられた私としては多少とも「ムカッ」として受話器をとると,T調査会のS嬢からであった。もちろん当時の私は来るべき日を間近にひかえていたから,電話の用件がデートの申し込みなどであろうはずもなかった。

 T調査会は以前から軽飛行機によって琵琶湖の調査を行っていて,S嬢とは「リモートセンシング」のグループとして何度か会う機会があり,前々から一度飛行機に乗りませんかという誘いを受けていたのである。果たして電話は「今日飛ばすから来ませんか?」ということであった。私の眠気はいっぺんに吹き飛び,何はともあれ愛用のミノルタSRT101(こいつは例の7777でもビクともしなかったツワモノである)をカバンにつめ込んで大阪に向かった。

 梅田のビル内のT調査会でS嬢と会い,フライトの目的や方法を聞いた。それは,以前にも何回か行われているが,台風による豪雨で河川から琵琶湖に流入する濁水のパターンや拡散状態から流況をみようというものである。S嬢はその日は他の仕事があるということで,若い二人の社員と八尾飛行場に向かうことになった。

 八尾に到着し,操縦士との打合せも終わり,いよいよ飛行機に乗り込むことになった。我々が乗るのは,カラフルな模様の描かれた4人乗りのセスナである。実は,私はこの時まで,岡山天満屋屋上のヒコーキにしか乗った経験しかなく,セスナであれ何であれとにかく生まれてはじめて飛行機に乗るのである。私の胸のときめきといったら・・・。それは「ドキドキ」とか「ワクワク」などという既成の詞で表現できるはずもない。連想ゲームじゃあるまいし・・・。

 二人の社員諸君は本格的な撮影のため,窓の取りはずせる後部座席に乗り,おかげで私は操縦席の隣の席に座ることになった。そこには,操縦席と同じく操縦レバーが備えてあり,ますますうれしくなってしまった。エンジンが始動し,滑走路までのアスファルト道路をゆっくりと走り出す。ここまでは,全く車と同じであるが,これでもすでに子供のようにはしゃいでしまう。さあ,いよいよ滑走路に入り,加速とともにエンジン音が一段と高まる。さすがに緊張の一瞬である。と,まるで上昇するエレベータにいるのと同じ感じで,すでに機体は地上を離れ,みるみる高度が上がってゆく。思わず私は後ろの二人と顔を見合わせ「バンザイ」を叫んでしまった。隣の操縦士が笑っている。

 八尾上空から琵琶湖までは約30分ということなので,私はしばらく窓から“下界”を展望することにした。八尾付近は,とのかくゴチャゴチャと住宅が建ち並んで,そのすき間をぬって車の列がゆっくりと移動している。所々に申しわけ程度の公園が見えるが,とにかく緑の少ないことには少なからず驚かされる。かと思うと突然ダダっ広いゴルフ場があったりする。

 宇治川の濁流や山科の住宅群を眼下に見ながらいよいよ逢坂山を越える。すでに前方には琵琶湖が細長く横たわっている。さきほどから汗ばむ手で握りしめていたカメラをフロントガラス越しに琵琶湖に向ける。上空にはさすがに風があるのか,ときどき機体は上下に揺れ,思うようにファインダーの中に琵琶湖をキャッチできない。それでもみるみる近づいてくる琵琶湖に何枚かのシャッターを切る。

 浜大津の上空である。見慣れた建物が何かしら遊び疲れて放置された積み木のように感じられる。湖面はさすがに豪雨後の泥色を呈している。それでも光線の角度によっては緑っぽい青色に見える。その時,におの浜の沖に赤茶色の帯が漂っているのが目に入った。いったい何であろう・・・。そんなことを考えながら,南湖のあちこちをレンズに捉えているうちに,機はすでに琵琶湖大橋の上空である。とにかく,琵琶湖一周が1時間でできるのだから・・・。ついつい船のスピードを呪いたくなってしまう。

 和迩川河口付近は一面の泥色である。しかも単に沖合いに向けて広がっているのではなく,やや沖合いで渦を巻いたような濁水の分布を示している。そこには渦流があるのだろうか? 環流の一部なのか,もっと小さいスケールの流れなのであろうか? こういう流れが実際には大きな拡散効果をもっているのかもしれない。

 東岸の方に目を向けると,もう一面が泥の海である。さすがに野洲川の運搬力の大きさを物語っている。沖合いでは濁水と琵琶湖水との間にかなり明瞭なフロントが観察できる。が,その境界は一本の線ではなく,クシ状に入りくんでいるのが興味深い。このような構造(comb structure)の存在は知ってはいたが,実際に見たのはこれが初めてであった。一体どういうメカニズムで形成されるのであろうか。

 機は,北湖の西岸に沿って北上する。急に機体が激しく揺れ始め,一瞬,胸がむかついてきた。比良山系を越えた気流の乱れのためである。確かにこの頃から北西の風が強まり,湖面には明らかに波の模様が描かれている。さらに目を凝らすと,南湖で見たのと同じ赤茶色の帯が風の方向に幾筋にも整然と並んでいる。ゴミの集積であった。そういえば以前に豪雨後の北湖に船で調査にでた折,湖面のあちこちに流木や大きなゴミが漂流していて航走に苦労した憶えがある。ならば,あのゴミの集積は北西の風によるラングミュア循環によるものなのか?

 北西風に乗ってやってきた雲が湖面にシルエットを描く。それが濁水に重なり合って,肝心の濁水の分布を見づらくしている。何ともけしからぬ雲め!である。おかげで期待していた安曇川からの濁水の広がりはとうとうわからず終いであった。

 竹生島はさすがに美しい。二人で初詣に行ったことなどを思い出すとよけい美しい。塩津湾から姉川河口にかけても泥色の湖面が見えるばかりであるが,これは南下する機の右窓からはハレーションで分布については全くわからないからである。ただただ黄金色に輝く湖面が右前方に広がっている。しばらくカメラを持つ手を休めて,呆然と琵琶湖に見入る。昔,武奈岳から初めて見た琵琶湖を今,夕陽の中に見おろしている。胸に熱いものがこみあげてくる。やはり俺は琵琶湖をヤルのだと・・・。

 その後,私には飛行機に乗る機会が急に増え,とはいっても全日空の旅客機ばかりであったが,雲海も見たし,沖縄のエメラルドグリーンの海も胸をときめかしてみることになるのであるが,この話はこれで終わってしまうのである。(1980.2.7記)


「自然像」 Vol. 20 (1980)



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