城跡めぐり(2014年01月)

お城めぐりが高じて、あちこちの城跡を訪ねています。
ただし、スタンプラリーのような駆け足ではなく、それぞれの城の歴史や、その町の風土・文化
などにも触れたいと思っています。

伊勢亀山城と津城
新年早々に、青春18切符を利用して、草津線の柘植経由で亀山に降り立ちました。
亀山城は13世紀に築城されたという古い歴史を持っていますが、
1590年(天正18年)に岡本宗憲が入城後に本格的な城となったようです。
江戸幕府が丹波亀山城(現:京都府亀岡市)の天守を解体せよという命令出したのを聞き違えて、
伊勢亀山城の天守を壊してしまったという逸話が残っているそうです。

津市は初めて訪れましたが、江戸時代初期に藤堂高虎公が伊予今治からこの地に移ってきて
築いた立派な城下町です。高虎は築城の名人として有名ですが、近江の犬上郡で生まれ、
浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康と、抜かりなく?主君を変えて、75歳で天寿を
全うしたそうです。何度も主君を変えたことが否定的に評されることもありますが、
あの時代を生き抜く知恵を持っていたのでしょう。貧乏な頃に茶店で無銭飲食をして、
何年か後に再び茶店を訪ねてお礼をしたことから、「出世払い」の語源になったエピソードの
持ち主でもあります。

水口城(滋賀)と勝竜寺城(京都:長岡京)
水口(みなくち)は東海道の51番目の宿駅で、三代将軍家光の宿館として築かれたのが水口城です。
私が訪れた日には、あいにく史料館が閉まっていて、この城の歴史については未消化です。

勝竜寺城は、南北朝時代に北の要として1339年に築かれたというから相当に古い城です。
戦国時代には細川氏の城となり、忠興と玉(ガラシャ)のロマンスで有名です。
山崎の合戦では明智光秀が入城し、羽柴秀吉に敗れて落城の運命をたどったそうです。
ガラシャは光秀の娘ですね。このような、あまり表舞台には出てこない城にも、
それぞれの歴史があって興味は尽きません。

大溝城(近江高島市)、坂本城、大津城
いずれも、当時の面影はほとんどありませんが、歴史の一端をうかがい知ることができました。
大溝(おおみぞ)城は、安土城の対岸の備えとして1578年に築かれた城で、信長の甥にあたる
信澄が入城しました。信澄の妻は明智光秀の娘(細川ガラシャの姉)であったことから、
本能寺の変のあと信澄は疑いをかけられ、大阪の野田城で自害したそうです。
城址近くの「乙女ヶ池」はNHK「ごちそうさん」のロケ地です。

坂本城は明智光秀が1571年に築いた水城として有名です。本能寺の変のあとは浅野長政が城主となり、
1586年に大津城が築かれて廃城になりました。現在では城の痕跡はほとんどありませんが、
光秀の石像と光秀をたたえる歌碑が立てられていました。

大津城は、京極高次が関ヶ原の合戦で大津城に籠城して西軍の進攻を食い止めたことで
知られています。また、高次の妻は淀君(茶々)の妹の「初」だったことでも有名です。
大津城の天守が彦根城に移されたとの説があります。現在ではわずかに石碑が立っているだけでした。

丹波亀山(亀岡)城と園部城
丹波国は明治になって京都(亀岡など)と兵庫(篠山など)に分割されました。
明治政府も無粋なことをやったものです。

亀山城は明智光秀の居城でしたが、本能寺の変以降は、豊臣一門が入城し、江戸初期に藤堂高虎の
縄張りにより大修築されました。明治初期に廃城となり、その後はいろいろ悲しい運命をたどって、
いまは大本教団の聖地として管理されています。現在、城跡を見学するには受付で記帳し、
神主さんのお祓(はら)いを受けなければなりません。天守跡は「聖域」とされ、立ち入り禁止に
なっています。カメラを構えて身を乗り出したら、赤外線センサに感知され、スピーカーから
「ただちに立ち去れ」と怒られました。

園部城は江戸時代初期に築かれた城で、小出吉親が初代藩主でした。城の主要部は現在の園部高校
あたりにあり、今でも立派な櫓門が校門として利用されています。背後の小麦山にも櫓があったと
聞いて登ってみましたが、いくつか記念碑や慰霊碑が建っているだけでした。山麓には20年ほど前に
復元された立派なお城(国際交流センター)が青空に映えていました。「文化博物館」の学芸員の
方には、お城のことをいろいろ教えていただきました。

伏見(桃山)城
伏見城は、1594年に豊臣秀吉の居城として築かれましたが、慶長伏見地震で倒壊し、木幡山に再築。
1598年に秀吉が没すると徳川家康が入城し、関ヶ原の戦いで石田三成の西軍によって落城という
波乱に満ちた歴史を有しています。江戸時代になって家康によって再築されたものの、1619年に
廃城となったそうです。伏見城の建物は二条城や福山城などに移築され、びわ湖の竹生島にある
都久夫須麻神社に移された日暮御殿は国宝に指定されています。

20年ほど前に訪れた時には、「伏見桃山城キャッスルランド」として賑わっていましたし、
天守の中にも入れましたが、いまは耐震基準を満たしていないということで、天守内は非公開と
なっています。小高い丘の上に立つので、山科あたりからもよく見えます。むかしは、五重塔など
と並んでもっと素晴らしい景観だったでしょう。江戸初期に家康が二条城を築城し、一国一城令に
よって伏見城は廃城になったとか。その二条城も間もなく放棄され、幕末までは荒れ放題だった
そうです。莫大な資金と労力を費やして城を築いてはほったらかしというのは、何とももったいない
ことです。

いまの伏見城は、1964年の鉄筋コンクリート建築ですが、その後、映画撮影のために大坂城を模した
改修がされたそうです。中に入れないのは残念ですが・・。桃山城とも呼ばれるのは、伏見城跡に
桃の木を植えたことに由来するとか。したがって、「安土桃山時代」などというのは後世の命名です。


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伊勢亀山城跡 津城跡
水口城跡 勝竜寺城跡
大溝城跡 坂本城跡 大津城跡
丹波亀山城跡 園部城跡
伏見(桃山)城跡 伏見桃山陵 伏見城に使われた石
  
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