現存12天守のうち、四国の高知城、宇和島城、伊予松山城を訪れました。
ついでに、大洲城、今治城、川之江城、岡山城にも立ち寄りました。
天気にはあまり恵まれなかったものの、それぞれの城や城下町の盛衰に
ついて学ぶことができました。
高知城は、関ヶ原の合戦後に山内一豊が「高智山」に築いた城で、
石垣は近江の穴太衆によるものです。享保の大火で城郭は焼失し、
1749年に再建され、現在に至っています。桜はすでに散っていましたが、
「はりまや橋」からも近く、多くの市民や観光客でにぎわっていました。
宇和島城は、城づくりの名人である藤堂高虎が標高74mの「城山」山頂に築いた城です。
残存する天守は宇和島伊達家が再建したもので、小ぶりですがなかなか格調の高い
姿を見せています。あいにくの天気でしたが、急な山道を息を切らして登ったところに
忽然と現れた天守に感激しました。
伊予松山城も「勝山(標高132m)」の山頂にあるのですが、ここには麓から
ロープウェイとリフトが設置されていました。加藤嘉明が江戸初期に築いた城で、
その後、松平家15万石の居城となりました。この城も落雷で焼失し、江戸末期の
1854年に再建された天守が現在のものです。週末だったので、朝早くから多くの
人が訪れて、天守の見学には行列ができるほどでした。また、本丸跡では
いろいろなイベントの準備も進められていて、「野球拳」の全国大会という
ちょっと気になる看板も目にしました。
大洲城も藤堂高虎の居城だったようです。ごく最近に復元された木造の天守は
堂々とした風格があります。肱川畔に立つ城は絵になりますね。大洲(おおず)は
NHKの朝ドラ「おはなはん」の舞台としても有名です。
今治城も、またまた藤堂高虎です。高虎は近江の出身で、びわ湖の水城を
参考にして今治に大規模な海城を築いたといわれています。高虎の伊勢伊賀への
転封と同時に天守は解体され、丹波亀山城に移築されました。1980年に復元された
模擬天守は五層六階の堂々とした姿を見せてくれます。
川之江城の歴史は古く、14世紀にまでさかのぼるそうです。戦国時代にはしばしば
合戦の舞台となり、小早川隆景、福島正則らが領主となるも、江戸初期に城は
取り壊され松山城に移設されたとか。今の天守は1986年に復元されたもので、
城山公園は市民の憩いの場となっています。
岡山城は地元なので、何度も訪れたことがありますが、まともな写真がなかったので、
ちょっと寄ってみました。別名は烏城(うじょう)で、豊臣時代の黒を基調とした天守で、
姫路城のような徳川時代の白城とは好対照です。旭川畔に立つ天守の威容には見惚れて
しまいますが、昭和20年の空襲で焼け落ちていく天守に涙が止まらなかったという
母の話を思い出すと、複雑な気持ちが湧いてきました。
天守の多くは、歴史資料館となっていますが、古い城の階段は、とんでもなく急傾斜で、
高所恐怖症の私にとっては死ぬ思いの連続です。自分の意思とは無関係に足がすくんで
動けなくなるというのは本当に恐ろしいものです。(#`Д´)
さて、これで現存12天守のうち11を制覇したので、残るは備中松山城のみとなりました。
日本一標高の高い天守に登るために、いまから足腰を鍛えておかなければ・・・。(^ω^)
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