◆ 外国でのドライブについて
このシリーズも10回目を迎え,さすがにビックリ体験のネタが少なくなってきたようにも思うが,昔の日記(もどき)を少し繰ってみると,やはりその当時のビックリ体験がびっしり書き込まれていることに改めて驚きを禁じ得ない。いろいろネタは出てくるのだが,今回は,外国での車の運転についてすこしばかり書き記してみよう。
外国での運転初体験はミシガン州立大学に6ヶ月間滞在した時(1993年)であった。州都ランシングに到着して間もない頃に,当時ニューヨークに滞在していた義妹から車を譲り受けた。パスファインダー(Pathfinder)という名前の4駆ワゴン車で,日本ではテラノという名前の日産車である。当然のことながら左ハンドルで,シフトレバーは右手で操作することになる。ただし,アクセルは右足操作のオートマチック車であった。
国際運転免許は持参したが,アメリカでは運転免許がすぐに取れるというので,家内と二人で事務所に申し込みに行った。驚いたことに,受付が済むとすぐに横のテーブルに座らされて二人だけの試験開始である。しかも筆記試験は日本語で出題されていたので,難なく解答することができた。三択(abc)問題であったが,たまに答えに迷うような問題にあたると,「うーん。わからんなぁ。」とか独り言を装って,「5はハ」と家内に聞こえるようにつぶやいたりした。「abc」を「イロハ」に置き換えたまさに堂々たるカンニングである。
筆記試験は30分くらいで終わり,あっという間に採点されて見事合格。続いて口頭試問があり,いくつかの道路標識の意味を尋ねられたが,怪しげな英語でも見事パス。数日後に実技試験をやるから来るように言われたが,なんと自分の車で試験を受けるのである。同じアパートに住む人から実技試験コース(市街地を数km走る)の地図を借りて,何度かそのコースを走る練習をして,いざ実技試験に臨む。女性の検査官が私の車の助手席に乗り,「その先の交差点を右折」などという指示に従って約10分で終了。気をつけたことは,後方確認をミラーに頼らず,常に大げさに後ろを振り向くことくらいであった。数日後に顔写真入りの運転免許証が届けられたが,この3年間有効のDriver Licenseはアメリカ国内はもとよりヨーロッパでも身分証明書(ID)としてパスポートよりも役に立った。免許取得にかかった経費は3千円程度で,その後,2千円ほどを支払って,車のナンバープレートを「BIWAKO」に替えた。
さて,これでもう怖いものなしなのでドライブに明け暮れた。ランシング市内はもちろん,ミシガン湖見物,バトルクリークへの日本食品買い出し,デトロイト空港往復,アナーバーのミシガン大学訪問,そしてシカゴやナイアガラまでの6時間ドライブも楽しんだ。ただし,はじめのうちは左ハンドルと右側通行に慣れずに,けっこう危ない場面も多かったのは事実である。一番ヒヤっとしたのは,道に迷ってあわてて左折し,左車線に飛び込んだときである。対向車がいなくて幸いであった。信号が赤でも右折できる交差点があることなどは,後ろからクラクションの洗礼を浴びれば誰でも覚えられる。
ランシングの冬は厳しく,毎朝のようにフロントガラスの霜取りに時間を費やす。不凍液入りのウィンドワッシャーなども安物を使用すると一瞬にして凍り付いて,よけいに手間がかかる。氷点下26℃の朝に盗難防止用のアラームが誤作動して冷や汗をかいたことはこのシリーズの@で紹介した。ナイアガラツアーでは,猛烈な地吹雪に難儀した。
アメリカやオーストラリアの車の多くにはクルージングコントローラーが装備されていて,一度セットすれば一定速度で走行してくれるので,アクセルから右足が解放される。オートマ車なのでもとより左足はフリーであり,さらに長い直線の道路が多いためにハンドル操作もほとんど不要である。したがって,運転席にあぐらをかいて腕組みをして,日本から持ってきたカセットテープを聞きながら鼻歌を楽しむことができる。
一部を除けばハイウェーは無料であり,ガソリンも日本よりはるかに安いので,時間・体力・精神力があれば果てしないドライブが可能である。ちなみに,カリフォルニアに2ヶ月滞在したときには,西海岸のシアトルからサンディエゴまでを走破し,ついでにデスバレー,ラスベガス,グランドキャニオン,アリゾナ隕石孔などへも車(ボルボ)で出かけた。2ヶ月間の走行距離は約1万マイル(16,000km)に達した。ドライブが数日に及ぶときには,気が向いた所でモーテルを探して40ドルくらいで宿泊する。ガソリンスタンドはたいていセルフであるが,先払いと後払いがあるので注意が必要である。デスバレー(死の谷)に出かけたときには,事前に給油を忘れて,炎天下の砂漠の中をEマークに近づく燃料メータに気をもみながら,ガソリンを少しでも節約するためにクーラーを止め,窓を開けて汗だくになって,ひたすらガソリンスタンドを探し回ったことがある。
一般道もよく走ったが,アメリカでは時速55マイル(90km),スウェーデンでは110kmが制限速度であった。ただし,集落が近づくと,40マイル,30マイル,20マイルと制限速度は変化し,町中では30km程度でしか走ることができない。集落を抜けるとまた時速100kmで飛ばすことができる。日本の道路の速度制限が50kmなどと一律であるのに比べると,欧米のこうしたシステムの方がはるかに合理的である。
スウェーデンでは,1車線の道でも路側帯の幅が広くとってあり,遅い車に追いつくと,その車はスーッと左に寄ってくれるので,無理なく追い越しが可能であった。どこかの国のようにクラクションやパッシングで先行車に圧力をかけるのではなく,あうんの呼吸でスムースな追い越しができる道路とマナーに大いに感心したものである。ちなみに,スウェーデンの車にはほとんどクーラーが装備されていない。聞けば,クーラーが欲しいような暑い日は年に1週間ほどしかないので不要だとのことであった。そういえば,スイスでも同じような話を聞いたことがあり,レストランなどでのクーラー設置は国民投票で否決されたそうである。
「一人で長時間の運転によく耐えられますね」という質問に対して,「私はびわ湖で調査艇を黙々と長時間運転しているので,慣れているんですよ」と答えた頃が懐かしく感じられる。エンジン音のうるさかった「清流U」では会話もままならず,艇の運転はおのずから「黙々と」にならざるを得なかったが,「清流V」の比較的静かな船室に慣れてきた今では,もはや長時間のドライブは無理なのであろうか? あるいは体力と気力の衰えをごまかせなくなってきたためであろうか。日本でもほとんど車を運転しなくなってしまった今日この頃である。(さらに續く)
2007.1.25記(自然像 Vol.46, 2006)
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