外国でのビックリ体験−その2−


◆バイカル湖(その2)
 バイカル湖ではレーダによる漂流ブイの追跡観測を担当した。観測に必要なものはすべて日本から運ぶつもりであったが、多少は現地で調達できるだろうと思って漂流布の本数をケチってしまった。さて、イルクーツクに到着して、漂流布の材料を探しに町に出たが、アヤハディオのような日曜大工店もなく、どこを探してもビニールシートの如き物は売っていないのであった。現在もそうであるが、ロシアの経済情勢は日本では信じられないほど悪く、とにかく物に乏しい状況であった。何軒かの店を案内してもらったが目指す物が見つからず疲れ果てた頃、一軒の家具屋でカーペットが目に止まった。アメリカドルで15ドルという安価だったので、多少の後ろめたさを感じながらも漂流布としてこのカーペットを購入した。「背に腹は換えられぬ」という呪文を唱えながら・・・。

 さて、船上でこのカーペットを加工して漂流布作りを始めたとき、船長がやってきて、ぜひカーペットを譲ってくれと言うのであった。こちらとしては、漂流布がなければ観測ができないので、むろん断った。ところが通訳を通じて聞いたところ、15ドルというのはロシアでは大金で、こんな上等なカーッペトは庶民にはなかなか買えないとのことであり、まして貴重な家財を観測に使うとは何事か、というお叱りさえもらった。しばし交渉の末、船長がビニールを調達する代わりに、カーペットを譲ることになった。実際、船長は1時間後にはどこからか薄汚いビニールを探し出して、私が手渡したカーペットをうれしそうに抱えてどこかへ消えていった。

 船長が調達したビニールは、スーパーの袋のような素材で、観測のたびに穴があいたり破れたりして、ガムテープで補強を繰り返している内に、つぎはぎだらけの情けない漂流布へと変身していった。それでも何とか観測は行えて、沿岸域での強い流れや湖水の収束をとらえることができた。船長は、カーペットを自宅の玄関に敷いたと言って、すこぶる機嫌が良く、こちらの観測に対する注文をたいてい聞き入れてくれたことが結果的には観測の成功につながったのである。

 
◆スウェーデンの夏
 1994年の6月から2ヶ月間スウェーデンのウプサラ市に暮らした。首都ストックホルムから北へ車で約1時間のところにある静かな中都市である。1980年に京都で開かれた国際陸水学会で知り合ったトミー・リンデルという男の世話になって、アパートや車を借りて、彼らが最も美しい季節という初夏の2ヶ月を過ごすことができた。

 研究所巡りやセミナーなどに出席しているうちに、6月中旬から夏休みに入った。6月のある日には一斉に高校の卒業式が行われ、午後からは卒業生を乗せたオープンカーやトラックが市内を走り回る。それに従うように家族の乗った車が長い列をつくって続く。オープンカーには卒業生が子供の頃の写真が大きく掲げられ、クラクションが鳴り響き、市内は騒然とした雰囲気に包まれた。"あの小さな子供が立派に成長して高校を卒業しました"、というデモンストレーションである。なかなかすばらしい風習であると感心した。

 北緯60度のウプサラではこのころには夜はいつまでも明るく、窓にブラインドを下ろして人工的な暗闇をつくらないと眠れない。治安がいいので、夜中に町に繰り出すとあちこちのテラスでビールを飲み、長い夜を楽しむ人をみることができる。サッカーのワールドカップがアメリカで開催され、スウェーデンは準優勝に輝いた。その夜は、町中で車のクラクションが響き渡り、若者が国旗を振り回して叫んでいる。とても寝られたものではなく、ついに私も薄明るい深夜の街に繰り出した。

 白夜を体験するために、寝台列車に乗ってキルナに出向いた。車内ではヨーテボリから来たという若者と意気投合して、夜中遅くまで食堂車でビールを飲んで歓談した。キルナは鉄の生産地として有名で、鉱山の見学ツアーにも参加して、お土産に鉄の原石をもらった。キルナからレンタカーで、さらに北に行った湖畔の宿で沈まない太陽を楽しむはずであったが、あいにくの雨にたたられてしまった。

 翌日、ヤリボリ(イェリヴァーレ)という小さな町で観光バスによる白夜ツアーに参加した。バスの出発時刻が夜の11時という珍しいもので、小高い山に登って雲の切れ間から真夜中の太陽を地平線に見ることができた。ちなみに、ドイツ語ではWeiße Nacht(白い夜)という熟語があるが、英語ではMidnight Sun(真夜中の太陽)という表現しかない。アメリカの知人にWhite Nightと言っても全く通じず、白い馬にまたがった騎士のことかと笑われたことがある。NightではなくKnightを連想するようである。「探偵ナイトスクープ」というTV番組は深夜にやっているのでナイトは夜のことだと思っていたら、これまたKnightであった。



 
さて、7月にはいるとトミーの家族はバルト海に浮かぶ小島の別荘で暮らし始め、私も4泊ほどお世話になった。島へは自家用のモーターボートで約30分で到着する。電気のない島で、大きな風力発電機が備えられていたが、夜がないので照明はほとんど必要がない。昼間はバルト海で水浴びをしたり日光浴を楽しんだ。水温は19℃なので、子供たち以外はまず泳がない。私も一度だけ水に入ってみたが、さすがに冷たい。なめてみるとあまり塩辛くない。これはバルト海には大量の河川水が流入しているためである。大人たちは日ざしを体いっぱい浴びて短い夏を謳歌するが、紫外線には注意を払っている。夕方には、小舟で魚網を仕掛けにゆき、翌朝網を挙げると結構いろんな魚がかかっている。もちろん、その日の食卓に並ぶ。(さらに続く。) (1999.1.27記)

「自然像」 Vol.38 (1998)


View スウェーデン in a larger map


「雑文」のペイジにもどる

ホームページ