関東地方の城めぐり(2015年10月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関東地方のいくつかの城を訪ねました。 初日(9月29日) とりあえず東京に出て、池袋から東武東上線で埼玉県の川越市に向かいました。 大学時代に同じ研究室の原島君の実家に泊めてもらったことを思い出しました。 川越駅から「小江戸巡回バス」に乗って川越城本丸御殿へ。 本丸御殿が残っているのは川越城と高知城のみだそうです。 さすがに、重厚で趣のある御殿でしたが、その歴史はかなり複雑のようでした。 あとは、城のお堀が保存されているところを見学し、街中を歩きました。 古い蔵が立ち並ぶ通りを多くの観光客が散策していました。 川越泊です。 それぞれの城の概要については「お城めぐり」のページをご覧ください。
2日目 夏の猛暑で有名な熊谷で秩父鉄道に乗り換え、行田市にある忍(おし)城へ。 復興された三重櫓(やぐら)が目を引きます。博物館も見学しました。 城門ではTVのロケ撮りが行われていました。 行田市駅にもどり、ふたたび秩父鉄道に乗って寄居(よりい)へ。 寄居駅から歩いて荒川にかかる橋を渡ると鉢形(はちがた)城です。 建築遺構は残っていませんが、実に広大な城跡でした。 博物館も見学しました。 熊谷にもどり、JR高崎線で高崎に向かいました。 高崎駅から1時間ほどバスに乗って箕輪(みのわ)城を訪れました。 小高い丘の上に城の石碑が建っていました。 この城も広大な面積で、トレッキングコースが設けられています。 麓に降りたら、コスモスなどの花が咲き乱れていました。 この日の歩数計は28000歩を示していました。高崎泊です。
3日目 予定にはなかったのですが、世界遺産に登録された高岡製糸場を訪ねてみることにしました。 高崎駅から上信電鉄に揺られて「上州高岡」で下車、徒歩約15分です。 朝早くから多くの見物客でごったがえしています。 ガイドツアーに申し込みをしたのですが、説明が丁寧すぎて時間がかかりそうだったので、 ツアーから途中離脱して、駆け足で工場内を見物しました。 高崎にもどり、高崎城を見学。乾櫓と東門が移築復元されていました。 高崎から前橋に向かい、夕方に前橋城を見学しました。 遺構はなく、石碑が建っているのみでしたが、土塁は保存されています。 近くに臨江閣という由緒ありそうな建物があったので、少し覗いてみました。 群馬県庁ではNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の展示をやっていました。 大沢たかおが好演している楫取素彦が初代の群馬県令だったためです。 本日は太田泊です。
4日目 朝早く太田駅からタクシーで新田(にった)金山城へ。典型的な山城です。 新田義貞ゆかりの城で石垣や土塁などが残っているほか、 注目すべきは「月ノ池」と「日ノ池」という二つの池です。 新田神社にお参りして、雄大な眺望の中に富士山が浮かんでいました。 太田駅へ戻り、東武伊勢崎線で足利市へ。足利氏館を訪ねました。 いまは鑁阿寺(ばんなじ)として地元の信仰を集めています。本堂は国宝指定されています。 青空の下でしばし安らいだひと時を過ごしました。 次に、さらに足をのばして館林城へ。 土橋門が復元されていましたが、城の敷地は市役所となっていました。 駅から城までの「まちなか散策コース」が設けられていましたが、 あまり見るべきものはありませんでした。 館林から久喜経由で宇都宮に向かいました。駅から歩いて約15分で宇都宮城です。 二つの櫓が復元されていて、西日に明るく輝いていました。 宇都宮泊です。
5日目 この日は城めぐりをお休みして、日光見物をしました。 日光には若いころに二度ほど来たことがあるのですが、あまり記憶が残っていません。 JR日光線で日光駅に降り、バスで湯元温泉まで行きました。いわゆる奥日光です。 前日のTVで奥日光では紅葉が始まったというニュースが流れていました。 ニュースのとおり、紅葉が青空に映えていました。じつにきれいです。 湯ノ湖では温泉が湖中に湧き出していて、その付近では湖水が白濁していました。 なるほど湯ノ湖か、と。湯の湖畔の散策路をすこし歩いて、バスで中禅寺温泉へ。 中禅寺湖と華厳の滝を見て、日光東照宮に行ったのですが、 肝心の陽明門は改修中ということでカバーがかけられていました。 入場料1300円は高過ぎはしませんかね、などとぶつぶつ言いながら 猛烈な人混みの中で三猿と眠り猫を撮って、夕刻に水戸に移動しました。 水戸泊です。
6日目(最終日) まず、水戸城を訪ねました。水戸駅から歩いて10分ほどでした。 ただ、城跡には中学校や高校が建っていて、古城というイメージからはほど遠い感じです。 堀の跡には電車が走っていたりして、城跡が特定できません。 すこし途方に暮れて、スマホで「水戸城」を調べた結果、 「薬医門」が水戸第一高校の敷地内にあることがわかって、なんとか写真を撮ることができました。 城の西側には「旧弘道館」という藩校がありましたが、開館前だったのであきらめました。 次に、JR常磐線に乗って土浦で降り、15分ほど歩いて土浦城を訪ねました。 この城はきれいに整備され、亀城公園として利用されています。 西櫓の展示では、古い木の年輪に歴史が書かれていました。 これでこの旅は終わりですが、少し道草をして初めて中山競馬場に行きました。 ちょうどGIのスプリンターズSが行われていて、馬券は外れましたが、 のんびりと競馬を楽しむことができました。 関東の12城を巡りましたが、比較的地味な城が多く、天守を持つ城はありませんでした。 これは、戦国時代にこの地が北の上杉、西の武田、南の北条によって常に攻められたという 苦難の歴史を物語っているのでしょう。 (おわり)
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